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「変人」扱いだった小泉純一郎が私の胸を熱くさせた言動とは?



進次郎を知りたきゃ純一郎の素顔を知れ!! 


先週は、小泉進次郎(以下、進次郎)氏が自民党の農林部会長に就任したことで、首相への道をまっしぐらに走り始めたというお話をしました。

今週は、父親である小泉純一郎(以下、純一郎)氏の「意外な素顔」を明かしたいと思います。
 
進次郎氏のスター性の源は、父親の指導を忠実に聞いていることにあります。

経験豊富な父親が徹底的に教え込んだ発言、行動、状況判断などを、あのルックスの若者がやるから光り輝くのです。

2年ほど前、自民党青年局長だった進次郎氏を初めて党内の会議で見たときの感想は、「小泉純一郎の完全コピーじゃないかっ!!」でした。

話し方のリズムから表情まで、純一郎氏が転生したかのよう。
 
だから進次郎氏を知るためには、純一郎氏が“本当は”どういう人物なのかを知る必要がある。

はっきり申し上げて、純一郎氏の素顔は、世間のイメージとはかけ離れています。
 
私が初めて純一郎氏の凄みを実感したのは、平成10(1998)年に行なわれた自民党総裁選挙のときです。
 
純一郎氏は平成7(1995)年に続き、2度目の総裁選に挑戦。

当時の純一郎氏は、「政策というより妄想」と一笑に付された郵政民営化を強硬に主張するなど、変人ぶりで有名でした。

当然、総裁選初挑戦のときも、2度目のときも、まったく勝てる見込みのない泡沫候補であり、自民党議員もマスコミも、「目立とうとしているだけの変人」との認識で一致。
 
しかし、総裁選挙も大詰めを迎えたある日の午後。

私が仕えていた松岡利勝元農水相の議員会館事務所に、純一郎氏本人がふらっと訪問してきたのです。

そのとき松岡さんは不在で、私が応対しました。
 
通常、自民党の総裁選挙で候補者が各国会議員の事務所を回るときは、支持者の国会議員を数名引き連れ、「よろしく!」と言って名刺を置いて去っていくのが相場。

ところが純一郎氏はたったひとりでやってきて、「松岡さんはいないの?連絡とれる?」と聞いてきた。

松岡さんはそのとき小渕恵三氏を支持していました。
秘書としては、「申し訳ございませんが、今は連絡の取れないところにおります」と答えるのが正解。

もちろん、私もそうお答えした。
そうすると、どんな厚かましい候補者でも「ではよろしく!」と去っていくものです。

ところが純一郎氏は、「どうしても直接話したいんだ、何とか連絡を取ってくれないか?」と真っ直ぐに私の目を見てもう一度言うのです。

私はこの人が松岡さんに何を言うのか見てみたい、という好奇心に勝てなくなりました。

そこで純一郎氏に待ってもらい、別室からこっそり松岡さんに電話をした。
 
当然、電話越しの松岡さんは「何で電話をつなぐんだ!俺が小渕さん支持なのは知っているだろう!!」と激怒した。

しかし、私は純一郎氏に受話器を渡しました。
 
彼が松岡さんに語った言葉は、「あなたの立場は理解している。それでも私はどうしてもやりたいことがある。何とか応援してくれないか」という非常に簡潔なものでした。

前置きも飾りも無く、短い言葉を、大声ではないがしっかりとした口調で話す純一郎氏。

「勝ち目が無い」と言われているのに、そのまっすぐで真摯な姿勢に私は新鮮な驚きを感じ、正直胸が熱くなりました。

それまで私を含めた多くの人が持っていた総裁選の常識や、純一郎氏に対する変人という評価は、少し間違っているのではないかとも感じた。

このときの総裁選は小渕氏が勝ちましたが、私は「小泉さんの“本気度”を直接国民にぶつけるチャンスがあれば時代は変わるかもしれない」と予感しました。
 
それから3年後、純一郎氏は「自民党をぶっ壊す!」の一言で一大旋風を巻き起こします。
 
今週はここまで。

次週は、純一郎氏の「裏の素顔」についてお話したいと思います。

週刊プレイボーイ 2015年 No.47号「池田和隆の『政界斬鉄剣!!!』 vol.11」より