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国防へのコロコロ変える民主党には滅亡の運命が待つ!民主党が小沢一郎氏を追放したツケは大きい



今週は、安保法案審議の騒動について解説しましょう。


この法案をめぐる4ヶ月に及ぶ大騒動は、参議院の特別委員会や本会議での混乱でピークを迎え、可決・成立しました。

一連の騒ぎを見ながら私の脳裏をよぎったのは、今から20年以上前に私自身も現場で経験したPKO法案騒動と、その後の日本社会党消滅でした。

PKO法とは、自衛隊が国連の平和維持活動(PKO)に参加できることを目的に平成4年(1992年)に成立した諸法律のこと。

この法案の審議をめぐる国会の大混乱は、今回の安保法案のものとは比較にならないほどの、計5日間にも及ぶ大変なものでした。

社会党はもともと、自衛隊の存在を認めないとか、非武装中立国を目指すとか、非現実的な政治思想を掲げていました。

そして今回の民主党や共産党などと同じように、「憲法違反」だとか「戦争反対」と叫び、猛烈に反発したのが当時の社会党や共産党でした。

当時、彼らは「PKO法案が成立すれば日本は軍国主義化する!」「自衛隊が戦場に送られる!!」などといたずらに世論を煽り、街中では「NO WAR」のプラカードを掲げるデモも流行りました。

社会党、共産党の国会議員たちはデモ隊に向かい、「いかなる手段を使っても断固阻止!」「絶対に戦争はさせない!!」などと絶叫していた。

そして国会の特別委員会、本会議の採決では、デモ以上の絶叫と大混乱を演じた。つい最近に見た光景と同じです。

社会党はその約2年後、自民党や新党さきがけと連立を組み、一時期だけ政権党になります。

連立与党時代には自衛隊の存在も認めた。

しかし、連立を解消して野党になった途端、再び昔の非現実的な主張を繰り返す党に戻ってしまい、国民の信任を失った。

結局、2年後には事実上、消滅しました。

社会党消滅後の残党を、自らが自民党を割って率いる勢力と合流させ、民主党の原型を作ったのが小沢一郎さんです。

小沢さんは、政権交代可能な2大政党制の実現を最大の政治課題としていました。

その目標達成のため、非現実的で反日本的な政治信条を掲げる旧社会党の支持基盤である労働組合に対し、もっと現実を直視せよと粘り強い説得を続けたのです。

そして民主党は紆余曲折を経て、平成21年(2009年)に自民党から政権を奪うことに成功した。

わずか3年ほどで自滅的な終わりを告げたが、一度は政権与党となった。日米安保条約の“重み”も痛感した。

だから日米同盟強化の必要性も十分に理解しているのです。

私が接触した「落選組」を含む民主党議員の多くは、再び政権を取りたいと本気で思っています。

つまり彼らは、今回の安保法案に本当は反対したくなかったのです!

彼らは何故、自らの政治信条を二転三転させて自滅した旧社会党と同じ道を歩むのか?

不祥事に関しては“潔癖症”とも言える民主党は、小沢さんに「政治とカネ」の疑惑が発生するや、“疑惑の段階”で事実上追放した。

これで、非現実的なうえに反日本的な思想を持つ労働組合に対して“にらみ”をきかせられる唯一のまとめ役を失ってしまったのです。

小沢さん追放後の民主党で幅を利かせている大物の多くは、労働組合を支持基盤をとする真正の“左派”議員たちです。

今回の安保法案問題で、民主党議員の多くは、不本意ながらも左派議員たちに引きずられる形で、「戦争法案反対」の大騒動を引き起こしてしまったわけなのです。

民主党の岡田克也代表や枝野幸男幹事長は、安保法案に対するコメントを出すたびに、自己矛盾に苦悩し、表情を歪ませているように見えます。

旧社会党と同じような運命をたどるであろう民主党の未来を思うと、ご愁傷様と言うほかありません……。

週刊プレイボーイ 2015年 No41号「池田和隆の『政界斬鉄剣!!!』 vol.6」より